物語から

人間の体は飾り立てた王さまの車のように

やがては朽ちてしまう。

 

けれども人から人に伝えられる真の法(のり)は

いつまでも輝く。 

 

仏教哲学者の故中村元さんが紹介された言葉です。

 

大量になだれ込んでくる現代の情報や知識とは異なり、

人々の暮らし、心の礎となって

世代を超えて伝わっていく思想とは何か?を問う時に

この言葉はとても深く心に響きます。

 

宮澤賢治の書いた

虔十公園林という物語があります。

 

ここでは虔十という一人の青年が登場します。

その豊かな感性は、作者の賢治そのもののようで

木々のゆらめきや風のささやきでさえも

〈いのち〉ある存在として心に映しとっていきます。

しかし、そのあまりの感性の豊かさゆえに

かえって、いじめられたり、ひやかされたりしてしまうのですが

その虔十があるとき

たった一つの願いを家族に乞うのです。

 

それが700本もの杉の苗を買ってもらうことです。

 

虔十は、その苗を一つ一つ植えていくのです。

 

そして少しづつ大きくなる小さな林を

虔十は時に風に打たれ、雨の日はずぶぬれになりながらも

来る日も来る日もただ立って温かく温かく見守り続けるのです。

 

やがて背丈より少し高いくらいの林に成長した杉の木には

いつしか子供たちの楽しそうな声が聞こえるようになります。

 

しかし、その虔十は若くしてチフスにかかって亡くなってしまいます。

 

それから何年もの時が過ぎ

田んぼや畑はなくなり

町はすっかり変わってしまうのですが

虔十のお父さんの強い想いもあって

この杉林だけは残されます。

 

そしてあるとき、

この杉林ででかつて日々を過ごした一人の教授が訪れて

今でも子供たちの声を包み続けている杉林が残っていることに

心を打たれ、小学校の校長にこの杉林を大切に残していくことを提案するのです。

 

そして虔十の植えた苗は

立派な「虔十公園林」となって

ずっとずっと残っていくというお話です。

 

この物語を最初に読み終えた後、

そのあまりにも美しい尊さと透明感に

強く心を深く打たれて、涙を抑えることが出来なくなるほどの

感動を覚えずにはいられませんでした。

 

何かが〈いのち〉に触れて

おぼろげでありながらも

深く響き合ってその豊かな余韻の中に包みながら

身心に浸みこませてくれていることを感じさせられるのです。

 

虔十というかけがえのないたった一つの〈いのち〉の物語には

ほんとうの与贈とは何かを時と共に問いかけ、

そして生と死を超えて輝き続けるあの杉林の温かな居場所を

私たちの心に映して

真の法(のり)とは何かを私たちの感性の入り口から

確かに浸みこませてくれているように思えたのです。

 

ほんとうの思想は

こうして

超えて

活きて

伝わっていくものなのですね。