場の研究より

 

先月の場の勉強会では、生活体にとっての与贈の意義について清水博所長からのお話がありました。

最初にあったのは、認識の医学と存在の医学の違いについて。

 

認識の医学は例えば組織、細胞、遺伝子、分子というように「分けて考えることの出来る医学」。近代の医学の考え方はここに象徴されています。

 

これに対して存在の医学は、私たち自身のことを考えても、その存在が決して他と切り離すことができないように、「分けて考えることの出来ない医学」です。

 

この存在について考えていくときに、どのような存在の在り方が一番良いのかということが問題になります。ここに二重存在(二重生命)ということが最も重要になってきます。

 

二重存在。例えば、細胞と身体の関係。

 

細胞は、細胞としての自分の〈いのち〉を生きていますが、同時に身体の〈いのち〉の一部として生きて身体のはたらきを支えています。

 

つまり、一つの細胞としての存在、身体の一部としての存在という「二重存在性」があるということです。ではこの二つはどのようにはたらいているのかということが重要になります。

 

二重存在性を支えているのは、〈いのち〉の与循循環です。

 

細胞たちは自分の〈いのち〉のはたらき(表現)を身体に与えて(与贈)することで、身体の〈いのち〉を創り(〈いのち〉の自己組織)、創られた身体の〈いのち〉は、そのはたらきを反対に細胞たちに向かって与えながら循環し、その存在を継続させているのです。

 

つまり、〈いのち〉の与贈による〈いのち〉の自己組織ということがあって二重存在ということが成り立っているということです。

 

つまり、〈いのち〉は〈いのち〉を創りながら生きているということです。

 

認識の立場で「生命」という概念で捉えてしまうと、問題がその個体だけに限定されて、例えば、家庭や社会との関係などの居場所との関係は切れてしまいます。

 

しかし、私たち自身の存在のことを考えると、私たちは居場所から切り離してその存在を語ることは出来ませんし、このことは医療においても極めて重要な問題です。

 

私たちがクライアントの方々の一人ひとりの存在ということを深く考え、これからのケア-を創っていくのであれば、この〈いのち〉という概念をちゃんと掴んでおくことが更に求められてくることは間違いありません。